DJとは、DISC JOCKEYの略。
ジャマイカ移民、クライヴ・キャンベルがジャマイカのDJスタイルをブロンクスに取り入れ、彼が曲のビート部分をつなげて繰り返しかけるという”ブレイクビート”を生み出した。
そのクライヴ・キャンベルは後にクール・ハークとして知られ、HIPHOPの歴史を作った重要人物としてHIPHOP史に残るようになる。
そのクール・ハークが開いていたパーティーで、クール・ハークのプレイを見たジョセフ・サドラーという男がDJスキルにさらに磨きをかけ、レコード盤を前後にこする”スクラッチ”の前身、"RUBBING"を実践。
そしてそのスクラッチが、グランドマスター・セオドアによって発見されたことにより、DJの歴史が一揆に加速した、(RUBBINGを発見したのはフラッシュだが、セオドアがこの逆回転リズムをパーカッションとして取り入れた張本人。 )ジョセフ・サドラーは「グランドマスター・フラッシュ」と名前を変え、フューリアス・ファイブというグループと、当時としては革命的で7分にもわたる、政治的リリックの"THE MESSAGE"を発表。
(グランドマスターという名前は、HIPHOPと関わりを持つ無数のカンフー映画の"グランドマスター○○○"からとったと言われる。)また、マスター・オブ・ザ・レコードとして知られるアフリカ・バンバータは、HIPHOP界における非常に重要な人物で、クラフト・ワークのシンセサウンドを導入したりと、エレクトロ・ファンクの先駆けともなった。また、HIPHOPだけではなくHOUSEやTECHNOにも影響を与えていった。
上記で挙げたクール・ハーク、グランドマスターセオドアとグランドマスターフラッシュ、そしてアフリカ・バンバータは後に今のニュースクール世代に称えられる偉大な人物となった。